ヒストールのブログ(葦)

新年おめでとう

【チェンソーマンアニメ第3話】狂った半ズボンと狂った天

 

カワイイ!
 
 ハーイ、ガイズ。
 わたしは聖書と北欧神話とマキマ好きのヒストール、よろしく。
 これは『チェンソーマン』アニメ3話の怒り記事。原作ネタバレだらけ注意。藤本タツキ作品ネタバレ注意。原作未読勢は回れ右でお帰りを。考察勢はいらっしゃい!
 

足首に注目

  またMAPPAがやらかした!
 アニメでは半ズボンのデンジがポチタを抱きしめている。
 これは絶対にありえない。責任者は半ズボン履いて謝罪しろ!
 一つ目、幼いデンジの足。原作ではわざと【足首が出てる幼いデンジ】を描いてから、【足首が出ていない幼いデンジ】を描いている。幼いデンジは細かいところが描き分けられていて、きわめて重要なシーンに関わることなので、ここでタツキが描き間違いをした、修正をしなかった可能性はない。この四つのコマは「横線が入っている」「黒枠でない」からだ。横線が入っているコマは「普通の過去」で、「黒枠のコマは普通でない過去(?)」として、自覚的に描き分けられている。原作をちゃんと読まないとわからないことだけれども、黒枠は現在と微妙にズレている。
 

長ズボンか半ズボンか

 まず、タツキが無自覚に描いてない証拠。1話の黒枠の幼いデンジは、父の墓前では半ズボンか長ズボンかわからないコマしかなく、次の日にはじめて長ズボンだったとわかる。その次のページ、白枠ではポチタを抱きしめている長ズボンのデンジ。この構図は幼いデンジがポチタを抱きしめる構図と同じ。この作品でハグはきわめて重要な行為だし、タツキがこの二つをなんとなく描くのはありえない。
 

乗っ取れる
 
 原作1話。黒枠でデンジが「悪魔には…死んだ人の体を乗っ取れるヤツもいるらしい」と言い、自分が死んだらポチタに体をあげようとしている。デンジは「魔人」という名称はともかく、「悪魔による乗っ取り」を知っている。

 

乗っ取り
 
 同じく1話でゾンビの悪魔、公安職員、マキマが「悪魔による乗っ取り」を言語化している。

 

乗っ取りを知らない

 ところが、現行時間のデンジは「魔人」の名称を知らず、「人の死体を乗っ取った悪魔」にも「ああ、それなら知ってるぜ」とは反応せず、「ふ〜ん、え…、あぁ、それじゃオレ魔人じゃね?」と鈍い反応をしている。アニメ勢にはわかりにくいけれど、デンジは義務教育を受けていないだけですごく賢い。黒枠のデンジとこのデンジがつながっているなら、デンジは「ふ〜ん、え…、あぁ、それじゃ」とモタモタ考えない。黒枠デンジ、ゾンビの悪魔、公安職員、マキマ、アキに「悪魔による乗っ取り」を言わせて、無自覚に構成されてる可能性はまずない。

 

ズレた世界

 アニメ勢に配慮した黒枠をもう一つ。現行時間ではある男が「用意する」と言って立ち上がっている。黒枠では男が「わかった、用意する」と座ったまま言っている。セリフも動作も白枠と黒枠はズレていて、つながっていない。ガチ勢ならこういうところにも気づくはずだ。『チェンソーマン』は白枠や黒枠に限らず、セリフや動作や立ち位置などが映画的に計算されている。藤本タツキがなんとなく幼少期のデンジの足を見せ、なんとなく長ズボンのデンジを見せることはない。
 

致命的な問題

 このシーンは致命的な問題が、少なくとも三つ関わる。黒枠と、■■と●●。作品の全体構成に関わるミスなので、もう修正できない。
 

タイヨウが元気な時なんかない
 
 そして前の記事で書いた話。藤本タツキは『チェンソーマン』や読切で太陽の形を描いたことがない。タツキは満月をハッキリ描き太陽を描かない。『ファイアパンチ』の地球🌏は氷河期で、太陽サンは死ぬ。『チェンソーマン』では早川アキの弟の早川タイヨウは死んでいる
 

「天」の改変

 原作では、夜行性のコウモリの悪魔は昼間にバッサバッサ空を飛ぶし、立クーラーは「立クーラー」になり、おそらくは本自動車商会の日は見切れている。夜行性のコウモリの悪魔の恋人はヒルの悪魔。本自動車商会の可能性もあるが、藤ならこの世界の秘密に関わってくる。アニメ版ではなぜか「本自動車商会」になり、目立クーラーは削除されている。余計な改変を!
 

ユウコとアサとヨル

 第二部はアサ、ユウコ、ヨルを通じて自覚的に朝、夕、夜が自覚的に描かれている。聖書の1ページ目。天地創造の第一日は、悪の名と形を奪う創造と、夜と呼ばれる闇と、太陽のない夕と朝があった。天地創造の第四日は太陽と月が創造されず、「大きな二つの光」がメイクされた。第二部でも太陽は描かれていない。作中で太陽や昼が無自覚に描かれてる可能性はない。
 

素晴らしい作画
 
 アニメの作画やアクションシーンはすごく良い。
 

父と娘

  けれど意味不明で整合性を損ねる改変が目立つ。原作デンジは「女は逃がす」「野郎の命なんざ知るか」なのに、間に「父と子を逃がす」という変な改変をやからしている。原作ではデンジが借金を残した父に対してどういう心情なのか、父と息子に対してどういう態度を取るのかハッキリ描かれていない。これはアニメで改変して整合性が取れる要素じゃない。
 
追記:アニメ4話でこの二人は「父と娘」と判明した。しかし、「父を逃がす」「パーキングエリアと切り離された少女」だと、後々に響く改悪。電車の女性、4回出てくる自動車の男パーキングエリアの少女はセットでないと意味がわからなくなるからだ。
 

姉ぶる悪魔(?)
 
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。━━福沢諭吉
 
 歪んだ天。日本の「天」は英語のヘヴンとすり合わされていない。日本は「天皇」で時代逆行し、天地の創造主を「天」と呼び、御使いを「天使」と呼んでいる。また、日本人は昔からデーモンを「天神」と呼び、昔から太陽を喰らうエンジェルを「天狗」や「修羅」と呼び、昔から日月星を「日天子」「月天子」「明星天子」と崇めている明星天使ルシファーは主に反逆し、悪魔の祖サタンになった。信教なき聖書の法では、日と月と星を拝んだら死刑。北欧神話はこの法を取り込み、日月星の神はいないし、天狼フェンリルの「月の犬マーナガルム」が罪深い太陽を喰らう。聖書や北欧神話や自然はシスターを姉と妹の上下に分けないし、ブラザーを兄と弟の上下に分けない姉なる太陽アマテラスは、天地万物に呪いをかけ、すべての日本人は宇宙や世界や自然を誤認している。「天」が狂っている日本人は、本当の太陽さえ認識できないアニメの「天」改変は蛇足で、原作を損なった。けれど、原作のデンジ丶丶丶天使達丶丶丶の描き方は、既存の作品に見られない見事な描き方。アニメから原作を読む人が増えれば、そこは成功かもしれない。

 

デンジは天使、あの悪魔と戦う話なので天使にデンジっぽいキャラクターだから濁音付けようと、濁りを付けようと思ってデンジになりました。

藤本タツキジャンプフェスタ2021年にて)