悪女が正義!(あいさつ)
わたしは聖書と北欧神話と悪女好きのヒストール、よろしく。
アニメガン無視!『チェンソーマン』のデンジはイザナギを超えている。それはペルソナシリーズ、特に『ペルソナ4』で解説するとよく分かる。基本的にネタバレなので、各原作を知らない人は要注意!
八。『ペルソナ4』の舞台は八十稲羽の八十神高校。八十神は「大国主」の悪い兄弟たち。「八十」は「多くの」の意味。そして、『チェンソーマン』のマキマが使った神社は大国主をまつる大神神社。八十神、いや無限の悪魔は「多くの人体」の集まりで、「8」を横にした「∞」の心臓を持ち、「銃(十)」の悪魔の肉片を食べ、デンジたちを「8時18分」の時間、「8階」の空間に閉じ込める。「八八(64の古形)」話は闇の悪魔が初登場。闇の悪魔に腕を飛ばされるシーンは「8人」が描かれている。ペルソナシリーズは人でない者たちが、「八十の仲間」との絆で「心」を得る。『チェンソーマン』はデンジが8階の8時18分で仲間に裏切られ「心」を奪われかける。でも8野郎はいちごジャムになって自殺した。
兄。ファーザーはブラザーを兄と弟に分けない。マザーはシスターを姉と妹に分けない。母なるネイチャーは兄弟姉妹を分けて産まない。シブリングは、ブラザーやシスターをまとめてあらわす言葉で、日本のアニメ英訳にもすごく使われる。日本人の「家」はとても歪んでいる。『ペルソナ4』は主人公が皇神かつ「最初の兄」であるイザナギを使い、「最初の妹」であるイザナミを倒して封じる。4の主人公は、従姉妹の菜々子から「お兄ちゃん」と慕われている。4のラスボスのアメノサギリは、兄イザナギの子孫。4の続編ラスボスのミクラタナノカミは、兄イザナギが娘アマテラスに授けた首飾りの名前。諸悪の根源はお兄ちゃん。『チェンソーマン』。デンジ君の「良いお兄ちゃん」「世話の焼ける妹」がいる幸せとか普通とかはね、全部マキマさんが作るし、全部マキマさんに壊されちゃうんだ。アキお兄ちゃんは銃の魔人。銃の悪魔が初めて現れたのは【1984年】。『1984年』は超有名な小説で、「ビッグ・ブラザー(兄)」に支配されたディストピア。死んでお兄ちゃん!真実が見えない!
先。西洋は前向きで、先生や先輩や先進国という先の語はない。プロ(pro)は「前」を意味し、400語以上ある。日本語の「御前(おまえ)」はかつて天皇や貴人への敬称、他人への尊敬表現、神仏や貴人の前のことだった。「御前」は貴人の前、貴人、殿、貴族や大名の妻、女性への敬称。今は日本人が神や天皇や女性━━「オマエ」をとても軽んじるため、「オマエ」は蔑称になった。日本人は「プロ」から前でない用語をたくさん造った。
・前放「プロブレム(problem)」問題。
・前投「プロジェクト(project)」計画、企画。
・前行「プロセス(process)」過程、手順。
・前導く「プロデュース(produce)」生産する、製造する。
・前導者「プロデューサー(producer)」生産者、製作者。
・前認者「プロフェッサー(professor)」教授。
・前書「プログラム(program)」予定、番組。
・前動「プロモーション(promotion)」昇進、促進。
・前分「プロポーション(proportion)」割合、部分、つり合い。
・前置く「プロポーズ(propose)」提案する、(結婚を)申し込む。
・前置「パーパス(purpose)」目的。
・御前座「プレジデント(president)」大統領、社長。
・前在「プレゼント(present)」現在、贈り物。
素直に「前」で訳せばいいのに、日本語は「前」抜き造語しかない。先生や先輩。4の主人公は、りせや直斗や完二から「先輩」と慕われ、クマや子供から「センセイ」と慕われる。リーダーは先でなく前にいて導く人。フォローはアシストやヘルプの意味はなく、後ろからついていくこと。でもペルソナ使いはプロもフォローも知らない。真実を知るというけれど、前を拒んだまま「先」を連発すれば、前に歩けなくなる。プレジデントすら前抜きの大統領や社長。『チェンソーマン』では先輩や田中先生は死ぬ。田中脊髄剣!岸辺は先生と呼ばれてるけども、本当の先生じゃない。
左。左の「レフト(left)」は弱い、馬鹿、無価値が語源。右の「ライト(right)」は【正】で、正義・権利・返事・健康などを兼ねる。オーライ。紀元前から「右が正義、左が邪悪」は世界的。だからモダンな世界では、権利でなく「正機(正しい機会)」がシェアされた。「ライト(right)」は善人と天使と天国の側。「レフト(left)」は悪人と悪魔と地獄の側。世界で日本だけ、正機を権利にねじ曲げ、悪魔の左を国の柱にする。皇祖イザナギは左と島を司る。皇祖アマテラスは左と太陽を司る。神話で悪者扱いのイザナミやツクヨミは右を司る。だから、天皇も貴族も武士も悪魔の左を優先してきたし、和の衣食住もすべて悪魔の左優先。日本の学校やメディアは右左や平等を伝えずに洗脳する。『ペルソナ4』は左の兄イザナギや左の姉アマテラスで洗脳を強化し、正義と天使の右に属するイザナミを攻撃して封印する。4が右なる正義の否定なので、『ペルソナ5』の心の怪盗団も、右や権利と切り離された「正義」を繰り返す。英語ジャスティスは【裁判】【裁判官】も意味する「法の正義」。怪盗団はライトやジャスティスを区別できない。御前らは心がねぇブリキ男かよ?普通の国なら、前後左右や正義を区別できない馬鹿はいない。日本では前後左右や正義を区別できる常識人がまったくいない。真実や正義を求める物語なら、イザナギとアマテラスを「左の悪」として倒す以外にない。『チェンソーマン』の公安は、天使に由来する悪魔や魔人だらけ。ゴーストは姫野の右目を食べ、右手を提供した。「前側(将来)」が見えるイェイイェイはアキの右目に取り憑いた。
和。天皇の祖は左のイザナギと左のアマテラス。だから、政治はいつも「左上右下」。和服、和食、和室も「左上右下」。和の音楽、雅楽も「左上右下」。けれども、ミュージックのハーモニーは、「右=天国、左=地獄」を背景とした【結合】で、調和や和声や和音じゃない。コンスタテューシャンは【皆立】で、和のはじまり(憲法)じゃない。リパブリックは帝王と臣民の「和」を終わらせる【又皆】で、共和国と180度ちがう。ピースは右ベースの【平安】で、左ベースの平和や和平じゃない。すべての日本人は、共和国、平和、調和、憲法、和音、和声など、世界にありもしないものをあると思い込む。すべての日本人がもっと直接的に右の天使を下げて、左の悪魔を上げているけれど、その自覚すらない。ペルソナ使いが偽の和を正すには、イザナギとアマテラスを倒すしかない。けれど、4はイザナギやアマテラスを含めた和のペルソナで、街の平和を目指す。『チェンソーマン』のデンジはパン食で、マキマの「最悪の平和」を止めた。
日。聖書の法では太陽を拝んだら死刑。聖書の天地創造では太陽が創造されない。いや、「太陽」という単語すら出ない。西洋や中東の王侯貴族が太陽を崇める重罪人なのはありえない。それで『チェンソーマン』では一度も太陽が描かれない。早川タイヨウは死んだ。アサヒビールは存在が消え、タツキビールに変わった。「子供の精神を壊すとある星の光」は存在が消えた。カレンダーは日曜日からはじまらない。第1部は、夜行性のコウモリの悪魔が昼間に空を飛ぶ。夜行性のコウモリの悪魔はヒルの悪魔と恋仲。暴力の魔人がコベニにソフトクリームをおごる夏場に、トーリカと師匠のいる地域は積雪している。夏場の北海道は積雪し、デンジとパワーがアキに雪玉をぶつける。第2部では、アサがアサを告げるコケピーを殺す。アサに戦争の悪魔ヨルが取り憑く。ユウコは自宅の庭で綺麗な夕陽が見れると言うけど、夕陽は描かれない。タイヨウが死んでる世界では、太陽に異常事態が起きている。藤本タツキは読切でも太陽をまったく描いていない。『ペルソナ4』では太陽のアマテラスを生んだイザナギが主人公のペルソナ。仲間の天城雪子の進化ペルソナは太陽のアマテラス。日と和で日和ってるペルソナは保守的で腰が引けている。
月。『ペルソナ3』は月光館学園が舞台で、幾月が悪役で、月のニュクスを封じる。3でやらかしたので、シリーズ的に月のツクヨミ側を軸にした物語は難しい。『チェンソーマン』は何度もデンジと満月が描かれる。デンジとポチタの融合。デンジはマキマとしたいので姫野とエッチしない。デンジはレゼと海中デート。デンジはあらゆる人から犬呼ばわりされる。マキマは日の丸や「太陽」の看板といっしょに描かれる。北欧神話では、太陽と月は神でなく罪人で、「月の犬」という最強の天狼が太陽を食べる。デンジは太陽のようなマキマの罪を背負い、マキマを食べてマキマと一つになった。太陽を描かないタツキは読切でよく月を描く。
閒。「インター(inter)」は「閒」。本物の「世閒」は「右が善人、左が悪人」「ブラートリを兄と弟に分けない」「バギニーを姉と妹に分けない」。日本では「仏教」と「世間」すらすべて偽物。「間」のつく造語は多いけれど、日本人は知らない。日本では左=太陽、右=月なので、本当のアイダは「閒」。かつて「朕」は皆の一人称だった。かつて「皇」は皆の死んだ父母だった。かつて「詔」は皆の言うことだった。かつて「璽」は皆のハンコだった。日の嘘を削ると、ワタシは「朕」、ニンゲンは「人閒」、セケンは「世閒」、ジカンは「時閒」、クウカンは「空閒」、ナカマは「仲閒」、ハザマは「狭閒」、インターナショナルは「閒邦」、インターネットは「閒網」。ペルソナ使いは「仲間」で馴れ合う。月のニュクスが敵なら、月の「仲閒」に直せない。太陽のアマテラスが味方なら、月の「世閒」に直せない。ベルベットルームという「狭間」も直せない。主のイゴール、公のアルカナ、姉妹のマーガレットとエリザベス、弟のテオドアは、「インター」にあり得ない歪み。狂った「間」から逃れるには?『チェンソーマン』では、仲間が死んでもデンジは「別に〜?」、パワーは「死んだ!と思った!」で復讐しない。でもデンジは美人のためにタマを蹴って鎮魂する。
主。パワー!英語メインは「強さ」「強い」。メインはパワーやストレングス(剛毅)の別名。ペルソナの剛毅(コミュ)とメインとパワーは同じもの。英語に「主」という言葉はない。「ロード(Lord)」は“主”や“君主”でなく【麦守】。パンの塊(loaf)、守り(guard)。「クリエイター(Creator)」は“創造主”でなく米を育てる【床立】。「セイヴァー(Savior)」は“救世主”でなく【救済者】。「サヴァランティ(sovereignty)」は主権でなく【帝超】。「主の語」は英語訳された造語で、日本語としても英語訳としてもおかしい。たとえば、民主主義、主義、主張、主権、主観、主体、主語、主演、主役、主流、主要、主因、主力、主導など。原語のどれにも“主”は含まれない。平等の時代を主でつかめるわけがない。パワーは神を意味することもある。デンジがパワーの血をもらった後に「主人公の話じゃない」と報道された。友達の「強さ」がデンジを偽の主から救った。
○主でない語
・強い「メイン(main)」主な。
・強流「メインストリーム(mainstream)」主流。
・強線「メインライン(mainline)」主要。
・強跳「メインスプリング(mainspring)」主因。
・強止「メインステイ(mainstay)」主力。
・勇者「ヒーロー(hero)」主人公。
・前証人「プロタゴニスト(protagonist)」主人公、主役。
・星(る)「スター(star)」主演。主演する。
・導き手「リーダー(leader)」主導者。
・下投「サブジェクト(subject)」主観、主体。
⇔向投「オブジェクト(object)」客観、客体。
・説「イズム(ism)」主義。
・内立つ「インシスト(insist)」主張する。
・選挙力「デモクラシー(democracy)」民主主義。
・帝超「サヴァランティ(sovereignty)」主権。
・内入「イニシアチブ(initiative)」主導権。
日本人は偽の主に囚われている。ペルソナの主人公は、ベルベットルームの「主」の「客人」になる。ペルソナ3のコロマルは「主人(神主)」を亡くした。ペルソナ4の主人公は、鮫川で「ヌシ様」を釣る。ペルソナ5のモルガナは佐倉惣治郎を「ゴシュジン」と呼ぶ。日本人クリスチャンも「主」が嘘だと気づかない。禅僧も「主」が嘘だと気づかない。自由民主党も「主」が嘘だと気づかない。主演の俳優女優も「主」が嘘だと気づかない。家庭のご主人も「主」が嘘だと気づかない。メイド喫茶の御主人様も「主」が嘘だと気づかない。「主」は薄っぺらな造語で、文化と呼べるだけの厚みや深さはない。『チェンソーマン』のデンジは犬としてマキマを女主人と認めた途端、パワーを失った。けれど、メインキャラのパワーは復活し、マキマに支配されなかった。パワーは最強オオオオ!!女主人のマキマは雑魚!ワシの時代じゃあああ!
公。本物のパブリックは【皆】。日本語の「公」は天皇や征夷大将軍、朝廷や幕府のこと。だから正しい日本語では、公のつく語はとても少ない。偽パブリックな造語は、公共(皆共)、公務(皆務)、公僕(皆僕)、公平(皆平)、公正(皆正)、公営(皆営)、公園(皆園)、公開(皆開)、公表(皆表)、公式(皆式)、公益(皆益)、出版(皆版)、共和国(又皆)など。「天皇(公)」と「皆」は全然違う。西洋人は、主人公、公務員、公安、公使、公爵、公爵夫人、公女がいない。本物のリパブリックは共和国でなく【又皆】、皆で「公」の「和」を終わらせること。本物のサヴァランティは主権でなく【帝超】、天皇を超える皆が天皇を終わらせられる。悪党は【皆務員】を「公」務員にすり替え、「公爵」の華族制度をねつ造し、西洋にも「公の人」がいると洗脳し、「公」の語を大量に偽造した。学校は公立も私立も「公」で洗脳するだけ。公務員もメディアも「公」で洗脳するだけ。学者も文化人も「公」で洗脳するだけ。お笑いもエンタメも「公」で洗脳するだけ。エンペラーは皇帝でなく「征夷大将軍」。ポープは法王や教皇でなく「パパ」。ペルソナシリーズは偽の公アルカナを演出する。「女教皇」「女帝」「皇帝」。『ペルソナ4』では主人公が公務員のおじさんに預けられる。皇祖イザナギや皇祖アマテラスの公ペルソナ。『ペルソナ5』では公安の姉を持つ仲間。5の続編では公安のオッサンが仲間。『チェンソーマン』は公安の特異課や上層部が壊滅し、デンジが公安の犬を辞める。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
━━『マタイの福音書』11:28-30 新改訳